日本人として…阿久さんの詞をなぞり、もの思う秋の日。
晩年、さまざまな場面で、こと日本の荒廃というか、心のありようや生き方など人としての矜恃の崩壊を懸念し、その一端を担ってきたことを後悔なさっているかのような発言を続けておられた阿久さん。そしてそれを償うというか、まるで余生における使命のごとく、日本人として生きることの大切さをさまざまなメディアで説いておられました。
そのあたりについては「暮しの手帖」に連載していた「日本人らしいひと」(9月に「 凛とした女の子におなりなさい―日本人らしいひと 」として刊行)をご一読いただくこととして、そういった観点から阿久さんが詞を書いた歌を鑑賞してみるのも味わい深いのではないかなと思います。
むろん多作な上、類い希な策士でいらしただけに、世に知られるヒット曲には相反するものも多かったように思いますから、注意深く選ぶ必要があるでしょうが。
そういう意味でいえば、阿久さんの全集やコンピ、追悼盤の中でも、オススメなのがこのシーズンコンピシリーズ。なぜなら、日本の美しい四季を愛で、季節とともに移ろう心を描いた作品が中心にチョイスされているからです。
最新作の「 思秋期〜阿久悠作詞集<秋> 」は、既発の「 青春期〜阿久悠作詞集<春> 」「 恋夏期〜阿久悠作詞集<夏> 」に続く第3弾。
今回はタイトル曲であり、このシリーズのネーミングの発端でもある岩崎宏美の「思秋期」が群を抜いていることは言うまでもありません。77年の晩夏以来、いつ聴いても何度聴いても、詞を読んでも口ずさんでも、泣けてくる阿久さん屈指の名作ですね。
子どもの時は過ぎ去った季節を恋い、思春期には通り過ぎた人を思い、中年にさしかかってからは帰り来ぬ青春を偲び…。三木たかしさんのメロディー、ヒロリンの絶唱も相まって、いつも人間としての普遍的な感情があふれ出してしまいます。
ほかに小林旭、森進一、石川さゆりら大物に加え、チェリッシュの「月は東に」、堺マチャアキの「帰らざる季節」、ムッシュかまやつに書いた阿久さんの偏愛歌「幼きものの手をひいて」など隠れた名曲もいっぱいですが気になるのはやはりアイドル勢。
桜田淳子は「花占い」とアルバム曲「風見鶏」、ヒロリンは名シングル「思秋期/折れた口紅」と「ドリーム」、ピンク・レディーはデビュー曲候補だった「乾杯お嬢さん」、石野真子は新人賞レース参加曲「失恋記念日」、あべ静江は「秋日和」ではなくて「みずいろの手紙」などが収録されています。
ワタシが最も聴いたのは、ダントツで「乾杯お嬢さん」ですが、メロディーやアレンジはもちろん、コーラスデュオとしてのPLを実感するほど、歌唱も素晴らしい名曲ですよね。今となっては阿久さんの大好きな“お嬢さん”ものであるというのもヒジョーに感慨深いです。
あと、マニアックなアイドルファンが泣いて喜びそうな北村優子の「学園祭」。昨年の阿久悠コンピにも、ビッグネームに交じってなぜか収録されていましたけど、選者さんの趣味なのかな。
また、サッコの「乙女のワルツ」もそうですが、どうしても真夏に歌ってたシーンを思い出したりして違和感をおぼえるものもあったりしますが、それも流行歌の宿命ということで。
ここで、内容とはまったく関係ありませんが、恒例、ワタシの阿久さん思秋期ナンバーを指折り数えてみましょうか。今回、森昌子は「彼岸花」ですが、ワタシが初めて阿久さんの秋を感じたのは「記念樹」だったように思います。マコがヒュルヒュルと歌った秋風は初冬の木枯らしかもしれないけど、いっぺんでこの歌を大好きになったあの日はまだ晩秋でしたっけ。レコードも持っていなかったのに、今でもソラで歌えます。
そのほか、淳子なら「秋の装いをしなければ」や、サッコは「17才の秋の日を」、阿久さんナンバーでは絶対ハズせない清水ゆっこの「不幸な秋」など、やっぱり阿久さんの愛したスタ誕系アイドルのナンバーが思い浮かびます。もっとも、ワタシがこのへんのメンツしか聴いてこなかったせいですけど…。いずれも燃えさかる夏との対比で描かれた秋景色ばかりで、三木さんの哀愁メロディーとともに、感傷的で暗く寂しいイメージが際立っていますね。
阿久さんの場合、ワタシの知る限り絵のように美しい秋は少なくって、とってもおセンチな感じがする。中には秋だから感傷的にならないといけない、みたいな強制的な秋も多いような気もします。むろん、そこが醍醐味だったりしますけど。
で、男性歌手の場合はもっとハードボイルド。拓郎がショーケンに書いた曲に阿久さんの詞をはめ直したシミケンの「さらば」にしても、ジュリーの包帯ソング「LOVE(抱きしめたい)」にしても、映画のような哀愁お別れモード。ああ、別離の宿命に後ろ髪を引かれつつも、きっぱりと旅立つ男の後ろ姿よ。窓の外にも心の中にもハラハラと枯れ葉が舞い落ちる中、トレンチコートの襟を立て歩き出す影ひとつ…。これこそ阿久さん一流のロマンですな。
もちろん例外もあって、ヒデキに書かれた「若き獅子たち」のたて髪をなぶる秋風や「ブルースカイ ブルー」(今回はコレが収録されてます)の目にしみる秋空の青などは、ずーっとあこがれて続けているけどどうしても近づけない、勇壮で爽快、健全な青春の世界です。
と、またまたゴタク満載でスミマセンが、シリーズも3つ目の季節までくると、阿久さんは季節ごとの物語を紡ぐというより、四季の役割を明確にしながらきっちりその季節に合うべきものを描いていたことに気づきます。それって、かつての日本人ならばみんな携えていた歳時記に似ているかも。
もの思うのは秋の日だからにほかならない。そう考えると、阿久さんの晩年の言葉が余計に身にしみちゃったりして。あらためて聴いていたら、スタ誕時代の阿久さんの口調で「日本人らしいひとに戻りなさい」という声が聞こえてきた。空耳だと分かっていても、深く深くうなずいてしまう秋の日です。
(2008.9.24)