どこまでそろえる?みゆきサン紙ジャケ35タイトル!
ついに紙ジャケ化ですか、 中島みゆきオリジナルアルバム全35タイトル 。76年のファースト「私の声が聞こえますか」から2007年の最新作「I Love You, 答えてくれ」まで、3カ月連続3期にわたっての発売で、いずれも初回生産限定盤。10枚購入すると全アルバムが収納できるBOXがもれなくもらえる応募特典付きだそうです。
内訳は、第1期が「私の声が聞こえますか」から88年「中島みゆき」までの15タイトル。第2期がアナログ盤ラストの「グッバイ ガール」から99年の夜会曲集パート2「月‐WINGS」までの12タイトル。第3期がヤマハからリリースされた地上の星効果の「短篇集」から「I Love You, 答えてくれ」の8タイトルとなっています。
アナログリリースのないものも含まれているものの、みゆきファンにとってはたまらないモノになるんでしょうが、一気にそろえるとなると、うーん(ここで暗算)、10万弱。BOXにして安くしてほしかったという声も多そうですね。しかも、ウワサによるとリマスタリングされてないみたいだし…。あ、ヤマハ盤って、販売元がエイベックスらしいんですけど、そのへんも隔世の感がありますよね。
で、ワタシはといいますと、リアルタイムでLPを買っていた第1期をそろえようかどうか迷っている最中です。実はユーミンでさえ紙ジャケもリマスター盤も見送ってますので。
近年まで一通り聴いてきましたが、最もよく聴いたアルバムは「生きていてもいいですか」「臨月」「寒水魚」「予感」あたりでしょうか。オールナイトニッポンも愛聴し、コンサートへも何度も足を運んだワタシですから、大好きなうたはいっぱいあります。「海よ」「ホームにて」「おまえの家」「世情」「タクシードライバー」「エレーン」「あなたが海を見ているうちに」「バス通り」「鳥になって」「夏土産」「肩に降る雨」「涙」「with」「二隻の舟」「糸」「相席」「サーモン・ダンス」「昔から雨が降ってくる」エトセトラ、いつのまにか知らずに口ずさんでいるほど脳内に刷り込まれていたりして。
オリジナルアルバムには入っていませんが「杏村から」「空港日誌」などのセルフカバーや「波の上」「霧に走る」「100人目の恋人」「つめたい別れ」なんかのシングル曲はいったい何度聴いたか分かりません。
みゆきサンとワタシの出会いを思い出しますと、スマッシュヒットした「アザミ嬢のララバイ」も「時代」も知っていましたし、ナオコの「LA-LA-LA」も「あばよ」も大好きな歌でしたが、初めて彼女のレコードを買ったのはご多分に漏れず「わかれうた」のシングル。LPは翌年の「愛していると云ってくれ」でした。母がしきりに「西田佐知子みたい」と言っていたことを思い出しますが、決定的にファンになったのは、やはり桜田淳子の「しあわせ芝居」があったからでしょうか。以来、アルバムは出ると同時に聴いてきましたが、のめり込むのはもっと後になってからでした。
あれこれ思いを巡らせてたら、沸々といろんなことがわき出てきましたので、したためておきます。ヘヴィーになると思うので、ここからはご興味と体力がおありの方だけお読みいただければ幸いです。
自らを持てあまし、苦悩を抱えたモラトリアム。人生の若き旅人が太宰治に傾倒するのと同じように、彼らはみな、みゆきの深淵へとたどり着く。かつて、それが世の習いだという時代がありました。
ワタシが彼女のうたに感じたのは、弱き者を悲哀の同化という薬で心地よく眠らせた後、真実の言葉で叱責し、肩を揺すぶって問い正し、そして棘と真綿でできた鎖で縛られるような痛みでした。
暗く醜く激しい自意識の中に、一本一本蝋燭を立てるように聴く、みゆきのうた。そこに浮かび上がるのは、この身をはかなみ運命を呪いながらも、その裏返しのように愛して止まない己の姿だったのかもしれません。
すすり泣きにも雄叫びにも似た恨み言の中にだけ、見出せた一縷の望み。それは屍だとばかり思っていた体をめぐる、熱き血潮に似ていました。やがてそれらのうたは、麻薬にも似た心地よさを帯びてくる…。そして、苦悩が満ちるほど甘美だと思ってしまう、みゆきスパイラルへと入る…。
なんだか、分かったような分からないような表現で申し訳ないのですが、ワタシに限って言えば、自分の中のある部分がひどく共鳴し、虜になっていったのはこういう経緯だったと思っています。
みゆきのうたって、かつてよく言われたネクラ的、傷をなめ合うような依存的発想の魅力とは決定的に違うと思ってはいますが、その一方で、逃げ道としての悲しみや脆さとの同化とか、弱さに立ち向かわず都合のいい人間だもの的に肯定してしまうことには共感できないのです。
現代の風潮が変わってしまったせいなんでしょうが、赦されることが当たり前みたいに主張することは間違っていると思うし。そしてそれらはみゆきサンの思いとは真逆のように感じるんですよね。
それと、みゆき好きの人って、悲哀の波長の部分だけに同調してしまうような人もいるかもしれないけど、本能で嗅ぎ付けて惹かれてくケースがとっても多いと思う。
ってことは、あの本質に共感する方々は、現代社会では弱者に分類されたとて、みんな根幹には強靱な意志の固さと熱い思いを秘めた人ばっかりなんじゃないかな。だから、ホントは世直しみたいな大きくてまっとうなことができうる力を持っているんじゃないかな。なんて思うのです。そういう意味で、そのきっかけを与えるみゆきサンって、やっぱりアマテラス的役割があるんじゃないかな。
またいつもの妄想的思考が渦巻いてしまいましたが、そのへん、津津浦々に数多いらっしゃいますみゆき研究員の皆さんにお聞きしてみたいな、なんて思ったりしています。他にも実はみゆきは洋で、ユーミンが和という指向と嗜好を持っている、みたいなお話も機会があれば、また。
(2008.8.9)