阿久さんの四季詞集、第2弾・夏編!
前にこちらで紹介しました、阿久さんのシーズンコンピ盤シリーズ。トーゼンのように第2弾「 恋夏期~阿久悠作詞集<夏> 」が出ることになりました。前回、蓋を開けたら、リクエストした通りみたいな選曲になっていて、すごくビックリいたしましたけれども、今回は夏編。収録予定曲を見ると、ピンク・レディー「渚のシンドバッド」、桜田淳子「夏にご用心」、石野真子「ワンダー・ブギ」らおなじみのサマーソングが大集合となる様子です。このシリーズの原案となったヒロリンの「恋夏期」も含まれていますね。
阿久さんの書く夏には、素肌をさらし欲望をむきだしに、むせるような獣の匂いがたちこめたものもあれば、焦げるがごとくに熱かった日々が知らぬ間に過ぎゆく寂寥感を漂わせるものもあったり。どちらもいろんな意味で優れた作品が多いと思いますが、ワタシの場合、夏の陽がかげり、秋風が吹くような晩夏の詞にいつも胸を打たれてきました。阿久さんがPLの2人に歌わせたように「はしゃいだ翌日は/なせだかさびしい」ことをワタシは阿久さんの歌で生まれて初めて実感したのですし。
その最高峰にあると思っているのが、思春期のめざめ頃に聴いたヒロリンの「夏のたまり場」。いつも書いてるよう思いますが、ワタシは77年の晩夏、阿久さんの手ほどきによってオトナへの階段を上がり始めたような気がします。
ほかにも、収録曲とは別にして個人的な思い出を語れば、小学校に上がった年にはF5の「おませなデート」のケーブルカーで帰っていくラストに訳も知らず泣きそうになったり(基本ハッピーな歌なんですけど)、モラトリアム期間に聴いて涙したシブがき隊の「恋するような友情を」とか、予期していても終わりが来てしまう時の気持ちというか、ただ最期を待つ日々というか、そういう詞には、実体験がなかった時から身につまされる思いがしました。そして、それは自然が示す季節と大きくリンクしていて、聴くたびに台風の後の悲しいほど青い空とか、ひと雨ごとに冷たくなっていく風の温度までがよみがえってきます。
78年の台風が来た日に初めて聴いたヒデキの新曲「ブルースカイブルー」や、80年の冷夏に流れてた井上望の日本テレビ音楽祭金の鳩賞候補曲「悲恋一号」(「夏のたまり場」コンビによる佳曲でB面の「あのひとに知らせますか?」もイイ)なんてのも大好きでしたが、あれはもう秋風が吹き過ぎでしょうか。
とは言っても、流行歌とファッションは季節先取りですから、夏の歌は春から初夏に聴いていましたし、夏本番の思い出に重なるのは秋のうただったりします。そういう意味ではサッコの「ひまわり娘」なんかは春の光景をパーッと思い出しますもんね。というワケで世間の感覚からうたの季節感にズレを感じてしまうワタシですが、コレっていち早く新曲を聴くことに情熱を燃やしていた報いかも…。
また、年を取るごとに、阿久さん一流のロマンがやっと分かりかけてきたようにも思いますが、そういった観点では「湘南哀歌」が胸にしみますね。それも浅井慎平さんのオリジナルでも山本譲二のカバーでもなく、シミケンのバージョン。
あと、真夏というくくりでは、柏原よしえの「No.1」に当時からドキッとしっぱなしですが、それはやはり、感傷的な秋が来てもけして老いることはない、ティーンの夏だったからでしょうか。そういう意味では、リンダとか夏木マリとか、オトナのひとが愉しむ夏は、実はティーンよりも刹那的でとても淋しい感じがします。
と、とりとめのないことをグダグダ言ってしまいましたが、こういう風にイロイロ考えちゃうのも阿久さんの詞だからですよね。阿久さんの綴った恋する夏の日。あらためて、この胸に刻みたいと思います。
なお1周忌を偲んでか、甲斐よしひろ、山崎ハコ、杏里、鈴木雅之、中西圭三、工藤静香feat.押尾コータロー、元ちとせ、森山直太朗、Mizrock、音速ラインら何ともスゴイ面々が参加したトリビュート・アルバム「 歌鬼(GA-KI)〜阿久悠トリビュート〜 」も発売されるようです。
(2008.5.30)