ター坊、久保田早紀らが唄う、にほんのこころ
復刻盤ではないのですが、とても感銘を受けたのでご紹介させていただくことにしました。
それがこのコンピ「 にほんのうた 第一集 」。
大貫妙子とくめさゆり(久米小百合=久保田早紀)の新録を目当てに買ったのですが、最初、三波春夫+コーネリアス、カヒミ・カリィ、キリンジ、キセル、ヤン富田、八代亜紀ら参加したアーティストを見て「?」と思ったものでした。
けれど、制作の「commmons(コモンズ)」レーベルが、“坂本龍一をはじめとするアーティストたちが音楽の新たな可能性を模索すべく、エイベックスグループとともに設立した新プロジェクト”と聞いて納得。教授ゆかりの面々が多いのはそういうワケだったんですね。
何でも「音楽の授業で教わった美しくも懐かしい日本の唱歌を今の時代に再生し、そして未来へと受け継いでいくことを考えた作品」というのがこのコンピ盤のコンセプトで、「唱歌に託された日本の原風景や当時の文化・風習など、日本人の心を今の音楽シーンをリードするアーティストたちが自分たちの感性で歌います」とのことですが、このラインアップなら、もっと現代音楽っぽく、難解な解釈が多いかと思っていたのです。
もちろん、そういうものもありますけど、こころに響く美しいうたの多いことよ。すべて知っている曲ばかりというせいもあるかもしれないけれど、単なる個人の記憶を超えて、DNAにすらしみわたり、共鳴させるほどの浸透度。もしかしたら、聴くのがつらくなる、または生き方を悔い改めるぐらいの力があるのではいかと思うような一枚なのです。
傑出しているのは、やはり大貫妙子の「この道」。
そこにはいつものター坊がいて、いつもの孤高な調べを奏でてるようなんだけど、どこかが違う。胸に広がるのは、いつか魂で確かに通ったことがあるこの道だったりして。自分でも驚くほどの感じ方をしてしまったのです。
また、くめさゆりの「旅愁」は、管弦具合があの「星空の少年」を思わせたり、とても久保田早紀的な匂いがします。
余談ですが、浅学のワタシはこのうたがもともと外国曲だとは知らなんだ…。テーマがにほんのうたなのに、と首をかしげる人もいるかもしれないけれど、それもまた昔から異文化を吸収し自らのものとしてきた日本人の歴史ですよね。
久々のコラボのような気がする坂本龍一+中谷美紀の「ちいさい秋みつけた」も予想通りの仕上がりですが、中谷さんのつぶやくような言葉の奥にあるものといったらどうでしょう。
それはまさしく、内なる声。この広い宇宙の中で、自然とともに生きてきた生命のつぶやき。四季の移ろいを受け入れ、溶け込むように努力をしながら、愛でる余裕さえ持っていた、かつての日本人。それを語るに最もふさわしい、美しい日本語の響きと旋律。
そう考えると、このコンピに流れるサウンドも、自然的な音の集合体ととらえることも可能です。
何だかとても大仰な流れになってしまいましたが、これは単に日本の原風景や当時の暮らしに思いを馳せたり、それを伝え、共通理解を得るために親子で聴く、というものではないように思えてしょうがありません。
まずは、現在の日本をリードしてきた世代を中心に大人たちが、ノスタルジーや思想にとらわれずに聴くこと。そして、目に見えないという理由だけで、大切なものを失くさせてしまったことに罪の意識を感じ、深く後悔すること。
唱歌の背景だとか日本がたどってきた道とか、そういうものを超えて、いやすべてをしっかりと受け止め、現実を直視ながら聴けば、これらのうたたちが必死で守ってきた大切なものが取り戻せるかもしれない。日本のこころを復権できるかもしれない。
もう最後のチャンスだから、ワタシはそこに望みをつなぎたい。そんな風にさえ思うのです。
だから聴いてほしい。いや、聴かなきゃならない。縁あって、この国で今を生きる日本人ならば。
(2007.10.26)