100人100曲、阿久悠が時代を映した詞たち!
あれも阿久悠、これも阿久悠、阿久悠を歌った100人。
レコード会社5社共同企画による「阿久悠を歌った100人」5タイトルがリリースされることになりました。
それが、コロムビア「 阿久悠を歌った100人~ざんげの値打ちもない~<女性歌謡曲編> 」、テイチク「 阿久悠を歌った100人~熱き心に~ 」、ビクター「 阿久悠を歌った100人「私の青い鳥」 」、ソニー「 阿久悠を歌った100人~青春時代~ 」、ユニバーサル「 阿久悠を歌った100人「勝手にしやがれ」 」。
作詞家生活40年記念と銘打っていますが、正確には作詞家生活としては42年で、今年はA面作詞デビュー40周年に当たるとのこと。
11月5日が発売日になったのは、そのA面デビュー作「朝まで待てない」(モップス)がリリースされた日だからだそうです。
ということでもお分かりでしょうが、このシリーズはかねてより企画されていたもので、今回追悼盤のような形になってしまったことがつくづく残念です。
本当の追悼企画は各所からきっと出るような気がしますが、それまではこのシリーズで、「詩」ではなく「詞」にこだわった阿久さんの遺産をしみじみ味わうことにいたしましょうか。
各タイトル1アーティスト1曲で20曲、シリーズを通すと合計100曲を収録というスケール。
阿久さんが作詞なさった楽曲は5000曲以上と、とにかく膨大な数ですし、1人の歌手に長きにわたって提供し続けるパターンも相当多かったものですから、選曲もかなり慎重になされたことでしょう。
もちろんハズせない大ヒット曲は一通り網羅されていると思いますが、いわゆる代表曲を集めた過去のCDボックス(30周年の「移りゆく時代 唇に詩~阿久悠 大全集~」、40周年の「人間万葉歌~阿久悠作詞集」)とは一線を画す構成。
収録曲はまだ正式には発表されていませんが、阿久系アーティストとともに、一般には作詞なさったとは思われていない大物歌手や俳優陣の顔も見えるようですし、阿久さんのレンジの広さと、歌謡界に貢献された功績がより浮き彫りになった編集盤と言えるでしょう。
レコード会社別のリリースと言っても、所属歌手のみというわけではなく、各編それぞれにテーマを設け、そのジャンルを得意とし収録アーティストが多くを占める社が担当するという構成になっている模様。
収録曲は各自ご確認いただくとして、ここでは、各編ごとにワタシの阿久さんへの思いを記すことにいたします。
まずは女性歌謡曲のコロムビアミュージックエンタテインメント編「 阿久悠を歌った100人~ざんげの値打ちもない~<女性歌謡曲編> 」。
これは、阿久さんの作詞家としての真価を表したものになることでしょう。言うならば、視点と言葉の力がとても強い独特の詞。絶望がテーマであっても、世を見据えたり、明日への希望をちらつかせたり、阿久さんの詞ってとても暗そうに見えても、けして悲しみに暮れすぎることがないように思います。
サブタイトルに用いられた北原ミレイのあの曲にしても。阿久さんご自身が作詞のアンチテーゼにした美空ひばりに書いた「花蕾」をはじめ、島倉千代子「女の一生」、レコ大を受賞させた都はるみ「北の宿から」、女の美学を纏わせたちあきなおみ「かなしみ模様」、ブレイクの扉を開けた石川さゆり「津軽海峡・冬景色」、スタ誕第一号として大きな愛情を注いだ森昌子「せんせい」、阿久さんの代表曲と言えばこの人の曲を推す人も多い八代亜紀「舟唄」など…どれもある意味、体臭が漂うほどに濃く、むせてしまうように思うのは、阿久さんのアクではなく、実は時代のアクだったことに今さらながら気づきます。
なお、ワタシが生まれてはじめて口ずさんだ阿久さんの詞は森山加代子「白い蝶のサンバ」だったようです。
お次のテイチクエンタテインメント盤は、男性歌謡曲「 阿久悠を歌った100人~熱き心に~ 」。
圧巻は何と言っても小林旭の「熱き心に」でしょう。大瀧さんの曲先だったようですし、アキラ御大のあの壮大なスケールもあったでしょうが、ワタシはリリースされた当時から、阿久さん一流のロマンの結晶というか、作詞家としての集大成というものではないかと勝手に思っています。
おそらく作詞家生活をスタートなさった時からずっと胸に抱いておられたであろうテーマ、例えばムッシュの「青春挽歌」や新沼謙ちゃんの「おもいで岬」などでずっと追求なさってきた日本の四季と人の心の寄り添い方、人間が生きるということの真理、そう、人生の旅路というものが見事に極められていて、詞を読むたびに、うたを口ずさむたびに、いつも満たされたため息をついたものです。年を重ねてからは、最初の2行でもう涙があふれます。
もちろん阿久さんがこだわる男のダンディズムは森進一らの演歌であろうとしっかりと貫かれていて、ひどく泣かされますね。
余談ですが、ワタシは「熱き心に」のレコードを買ったちょっと後、美空ひばりの「愛燦燦」を初めてCMで聴いて衝撃を受けました。もちろん阿久さんではないのに、まるで一対の曲のように思えてならなかったのです。で、発売を心待ちにして、ひばりのレコードを生まれて初めて買った…。
スタ誕出身者の多いビクターエンタテインメントは、当然女性アイドル編「 阿久悠を歌った100人「私の青い鳥」 」。
先生と生徒のような関係を保ち、歌で進級させ、歌で卒業させてきた阿久さん。
筆頭に挙げられるのは、やはり手塩にかけ育て、誰よりも愛情を注いだ桜田淳子でしょう。サブタイトルがピンク・レディーじゃないのも、そのへんを象徴していますね。
ただ、淳子の成長を踏まえ、天使からモンローまでを演じさせてきた阿久さんですが、淳子作品にはなんとなく目の覚める阿久さんらしさが少なかったように思えて、実はちょっぴり残念です。
初期の百恵ちゃんの青いセンセーショナルさを凌駕することなど、阿久さんには造作もないことだったはずなのに…なんて思うのは、淳子への愛情が勝ちすぎていたせいなのでしょうか。
ワタシはスタ誕で厳しい表情をした阿久さんの辛辣なコメントにいつもハラハラしたり腹を立てたりしていましたが、番組終了後、述懐された文章をどこかで読み、厳しさの中にある真の優しさを初めて理解し、阿久さんこそ真の教育者ではないかと考えるようになりました。
淳子に加え、伊藤咲子、岩崎宏美の阿久悠トリオも素晴らしいですが、ヒロリンは当初阿久さんが手がける予定はなかったといいますし、おそらく黒木真由美では数多の名曲は生まれなかったでしょうから、運命の必然性に驚くばかりです。
ワタシは世代的には、清水由貴子、柏原よしえの一連の作品にとても親近感を受けましたし、バンドブームのさなか、小泉今日子がカバーした「学園天国」が大ヒットした時はとてもウレシかったです。
もちろん、レコード大賞に輝いたピンク・レディーがいろんな意味で一番ですけれど。
続いてソニー・ミュージックエンタテインメントは、GS・フォーク・ニューミュージック編「 阿久悠を歌った100人~青春時代~ 」。
えっ?とお思いの方も多そうですが、阿久さんはこのジャンルとも決して無縁ではないのです。
前述しましたがGSがデビューの阿久さんですし、放送作家時代には天地真理には脇目も振らず、南こうせつとかぐや姫を見出してデビューさせたほどですから、全く意外ではありません。
ワタシ的にはやはりスー・ニー・ヴーの「白いサンゴ礁」。ボーカルの町田義人さんとは同郷のため聴く機会が非常に多かったせいか、物心ついた時から口ずさんでいた一曲です。ナベプロのイメージが強い大塚博堂は、中学の先生にファンがいましたっけ。
森田公一とトップギャランの「青春時代」は、音楽オンチの父が好きな楽曲で飽きるほど聴きました。酒場で遭遇した阿久さん追悼のカラオケで多かったのは、河島英五でしたね。スケールの大きい時代性のある詞がお得意だった阿久さんですから、私小説っぽいものは少ないと思いますが、シンガー・ソングライターとのコラボで心に残る名曲をたくさん遺しているのを実感できるでしょう。
そして、ユニバーサルミュージックの男性ポップス編「 阿久悠を歌った100人「勝手にしやがれ」 」。
尾崎紀世彦「また逢う日まで」、沢田研二「勝手にしやがれ」というレコード大賞2タイトルを獲得したメーカーですから、ある意味、阿久さんの最も大きな功績を記録したレコード会社といえますね。
阿久さんが提供した男性歌手=ジュリーというイメージをお持ちの方は多いでしょう。70年代後半の怒濤の作品群には今も圧倒されますし、今思うと阿久さんが生きたかった理想の世界、まるで映画から抜け出てきたような伊達男をジュリーが体現していたような気もします。
ワタシの場合は、やはり西城秀樹ですね。「若き獅子たち」「ラストシーン」「ブルースカイブルー」など、あの時代ヒデキしか歌えなかった壮大な青春群像は、いまだに憧れであります。
阿久さんは野口五郎にも、少ないですが郷ひろみにも提供していて、ライバル同士にあった新・御三家を制覇しているんですね。
そういえば、小柳ルミ子、天地真理、南沙織の新三人娘にも書き下ろしていますし(注・真理ちゃんは番組テーマソング、シンシアは復帰後)。淳子のライバルのため遠慮したという花の中3トリオの百恵ちゃんにしても、単独の書き下ろしはないもののカバーで阿久作品をレコード化してますし、キャンディーズ、マッチやトシちゃんにも書き下ろしていますね。
もっとさかのぼれば、ひばりやチエミも、スパーク三人娘も、御三家も。阿久さんの場合、スタンダードになった名曲が多いので大御所ともなると必ずと言っていいほどレコーディングしてます。
よく阿久さんは「それぞれの歌手のために、それぞれの引き出しがある」というようなことをおっしゃっていましたが、それは、阿久さんの持つ人間としての感受性というよりは、本能的な嗅覚の賜物であり、阿久さんのとてつもない才能の中で最も優れていたのは、その嗅覚で探した獲物の本質を、誰よりも早く的確にとらえる力ではなかったかと思います。
それは時代であり、歌手であり、営業戦略であり…いろんな要素や欲望を融合させ、最も魅力的で効果を発揮するポイントを見つけるアンテナを有していたのですよね。作詞家なのに、感性に頼ることなく、引きずられることなく…。
そういうことは今や当たり前ですが、あの時代には誰もいなかったのでは? 80年代のユーミンの前に存在していた“ひとり電通”、ワタシはそう思っています。
余談ですが、阿久さんの詞はそういった背景が透けて見えてしまう詞が多かったのも事実でして、相反する嗜好で意地が悪かったワタシは、阿久さんの詞の本当の素晴らしさを近年になるまで理解できていなかったのでした…。
とにかく、そういう意味では、今回、ワイドショーなどでコメントなさってた酒井政利プロデューサーとの深い絆もより理解できますね。
酒井さんによると、なんと新作のアルバム企画も進んでいたとか。そのアルバム、酒井さんがぜひ完成されることを願ってやみません。できれば、お二人のコラボ(久世さんを入れた3人と言うべきか)で大好きな「林檎殺人事件」みたいな世界も味わってみたいな、なんて思っています。
プロデューサー感覚にも長けた阿久さんと火花を散らし合った酒井さん。ジュリーやひろみ、百恵ちゃんにピンクと、それぞれに趣向を凝らしたエンタテインメントで対決していた頃、お互いに意識し合い、好敵手や盟友という意識を共有していたのですね。
ずいぶん前、テレビの特番でお互いへの思いを聞いた時、お二人はライバル関係を超えて、心から尊敬し合ってる感じがしました。職種は違えど首謀者であることを互いに認め合った同士の精神的結びつきや、切磋琢磨による達成感や恍惚感をもたらしてくれる相手への畏敬なんかがヒシヒシと感じられたのですね。このへん、表現にかかわる仕事をしてないと実感できないことかもしれませんけど。
あの頃、片田舎の子どもの前にさえ、予想もつかない素晴らしい楽曲たちが次々と飛び出す様を経験してきたワタシとしては、とても大きな刺激を受け、今日こうやってしたためていることにつながっているような気がしてなりません。
という、阿久さんの素晴らしい功績を追う企画。新たな味わい方ができるコンピレーションだと思いますので、阿久さんへの哀悼の意を表しながら、堪能してみたいものです。
*重ねて申し添えますが、文中に記した楽曲すべてが収録曲というわけではありません。収録曲は正式決定のものをご確認ください。
(2007.8.22)