フィンガー5と遊ぼう! あの夏休み映画がついにDVD化!
昭和40〜50年代の子どもたちにとって、学期末ごとの休みの一大イベントであったのが映画鑑賞ではないでしょうか。
終業式前には学校で推薦映画の割引券が配られましたし、推薦が取り付けられなかった映画でも休みが近づくと校門前で割引券を配るオジさんが出現したりと、休みに映画を見に行くことは必須であり、否が応でも気分は高揚していたものでした。
個人的にも映画は大好きで、ホントに小さな幼児の頃は親に連れられ一緒に見たものでしたが、物心ついてからはいろんなバリエーションで映画館へと出かけたものです。
例えば、漫画映画や怪獣映画など、映画館まではPTAと一緒に行くものの上映中は兄弟や近所の幼な友だちだけで過ごし、終わった頃にデパートで買い物を済ませた母親が迎えに来る、なんていうのも日常だったし、イトコに子守りがてら連れられていく時は、ワタシがグズらない子だったのをいいことに、ディズニーとかだけでなく彼女が見たいロードショーしたばかりの洋画や、名画座でかかっていた往年の名作を字幕も読めないまま鑑賞したことも度々でした。
それが小学校2、3年ともなると、いっちょまえになって、毎回仲のいい2、3人のクラスメイトだけでバスに乗って映画を見に行くようになるのですが、父兄同伴なしで行けるのは1回だけという不文律みたいなものがあって、終業式前にはお互いに見たい映画を巡って毎度せめぎあいを繰り広げたものです。
その時、必ず最終候補に残るのが、当時はゴジラもの対ライダーものというのが基本図式だった「東宝チャンピオンまつり」と「東映まんがまつり」。そこに「ベンジー」「がんばれ!ベアーズ」とかのファミリー向け洋画や、百恵ちゃん&淳子の主演作が割り込むようにしのぎを削るという感じでした。
人気作競演の5本立てか6本立てか、どっちがトクかよーく考えてみよう!という話し合いもあったし、ゴジラのリバイバル映画よりライダーの撮り下ろし新作がいいとか、前回は東映だったから今回は東宝という風に決めようとした時や、当時地元の映画館では、東宝はコカ・コーラ系、東映はペプシ系という棲み分けがなされていて、アグネスのミリンダ派だから東映を推した…なんて一幕もあったように思います。
評決で落ちても、どうじても見たいものは家族や親戚と見たりするからいいようなものの、友だち同士で出かける映画は格別。
行き帰りの楽しさだけでなく、小銭入れのお財布でプログラム(パンフレットではなくこう呼んでました)とミリンダとポップコーンを買ったらあといくら残るか。帰りにこっそり、バス停前のお好み焼きか商店街の豚まんを買い食いできるか、デパートの屋上でゲームができるか。なんていう楽しみもあったのです。
そういえば、10円玉を落っことしたかでバス賃が足りなくなって、友だち2人して真っ青になってたら、優しい運転手さんに「次でいいよ」と行ってもらったこととか、そういう小さなドキドキやハラハラも孕んでいたのでした。
ちなみに、生まれて初めて映画館に出かけたのは3才になったかならなかったかの頃。
ご当地ロケのあった「ボクは五才」を見たらしいのですが、コレは母が泣きまくってたことの方が鮮烈で、場面は汽車とかフェリーとか、乗り物酔いがひどく大の苦手だった乗り物シーンが続いて本当に気分が悪くなったことしか覚えていません。
一方、スクリーンの強烈な記憶がハッキリ残っているのが、昭和45年の冬休み。東宝チャンピオンまつりの「モスラ対ゴジラ」の台風のシーン。
泣き叫びはしなかったらしいのですが、映画館の座席で小さくなって震えてたそうなんです。そうした記憶はないのですが、映画そのものが怖かったというのではなく、実際その年に体験した大型台風の怖さを思い出し、恐怖感でいっぱいになっていたことはしっかり覚えています。
と、話がそれましたが、そんな怖い思いをしたのにもかかわらず、東宝チャンピオンまつりは大好きだったですね。当時の怪獣ブームでも、ウルトラマンよりゴジラものが大好きで、しかも新作よりリバイバルの方が好きという、今日を予感させる嗜好だったようですが、「いなかっぺ大将」「みなしごハッチ」「山ねずみロッキーチャック」など毎週のように見てたテレビまんがの映画版が同時上映されていたというのも大きかったですね。
映画館ではもぎりのとこで、初日とかにゴジラのバッジとかシールとか、カッコいいオマケがもらえたことも多々あったように記憶してます。
一方「テレビランド」や「テレビマガジン」もしっかり愛読してたもので、東映まんがまつりも大好きでした。
当時は「仮面ライダー」シリーズの特撮ものと「マジンガー」シリーズのテレビまんがという人気テレビ番組の映画版がメインで、それに映画用に制作された名作ものをプラスという構成もさることながら、インパクト大だったのが、紙帽子。東映まんがまつりを見てきた!というステイタスが味わえるとあって、上映中はおろか帰りの道すがらまで、みんなして被ったものでした。
と、長々と思い出話に花が咲きましたが、どうしてこんなことを書いたかというと、なんと東映まんがまつりがDVDで復刻されることになったからなのです!
それが、東映創立60周年の記念企画「復刻!東映まんがまつり」4タイトル「 復刻!東映まんがまつり 1973年夏【DVD】 」「 復刻!東映まんがまつり 1974年夏【DVD】 」「 復刻!東映まんがまつり 1975年春【DVD】 」「 復刻!東映まんがまつり 1976年春【DVD】 」。
興行をそのまま再現した初めてのソフトで、初回限定特典として当時のパンフレットの縮小復刻版も封入されるとか。思わず紙帽子を被りたい気分になってしまいましたが、このサイトとしてオススメしたいのは、やっぱり「 復刻!東映まんがまつり 1974年夏【DVD】 」。
そう、人気絶頂のフィンガー5の映画「フィンガー5の大冒険」が上映されたまんがまつりです。
この昭和49年の夏休み、7月25日公開のまんがまつりは6本立てで、タイトルは「フィンガー5と遊ぼう! 東映まんがまつり」。
同時上映は「マジンガーZ対暗黒大将軍」「五人ライダー対キングダーク」「イナズマンF」「ゲッターロボ」「魔女っ子メグちゃん」なのですが、こちらの方は各自大きいお友達などにお聞きいただくことにして、ここではメインのF5をクローズアップしましょう。
昭和49年、小学生以下のチビッコに特に人気のあったスターといえば、アグネス・チャンとフィンガー5。ともに冠番組を持ち、CMにもいっぱい出て、その笑顔は文房具や玩具にまで用いられるほど。それも元祖的な存在の真理ちゃんがつけた轍ですね。
特にF5はデビュー時はあきらと妙子はまだ小学生ということもあって、親近感いっぱいの存在。憧れのジャンボ・マックスと共演したり、百恵ちゃんや淳子のスカートめくりをしても全然怒られなかったり、そういうのもウラヤマシく感じたものでしたが、晃のトンボメガネは大流行しましたし、キャラクターグッズもたくさん出ました。
値の張るモノだけでなく駄菓子屋でもカードやメンコなどもありましたが、ライセンス契約や管理がしっかりしているのが子どもにも分かる感じの渡辺プロ系とは違い、F5はバッタもんも多かったイメージがあります。ということは、ビジネスとして1年で50億だか60億だかを稼いだといわれるF5ですが、ホントはもっと入ったはずです。しかし、当時の日本は偽物もいっぱいはびこってたんですよね…。今では考えられませんが。
さて、F5の映画といえば、実はこの年の春休みに東宝チャンピオンまつりで既に上映済み。でも、PVみたいだった東宝の「ハロー!フィンガー5」に比べると、こちらは一応ストーリーもの。
28分という短編なのですが、東映ならでは、ライダーシリーズなど一連の変身ヒーローものの原作者でもある石森章太郎先生が監督。当時の新曲「恋のアメリカンフットボール」をはじめ「恋のダイヤル6700」「学園天国」といったヒットソングにのせて、あのいやな悪党番長たちと対決したり、アメリカンフットボールに挑戦したり。花の妖精という石ノ森先生得意のモチーフや、当時一大ブームを巻き起こした超能力などトレンディーなアイテムも満載な上、果てには仮面ライダーV3も特別出演するなど、なんとも昭和40年代らしい、ハレヒレメガネのブットバシ的なドタバタアイドル映画なのです。
また、F5は、女剣劇士・浅香光代さんのパートナーとしても知られる世志凡太さんが手がけたことでも知られますが、彼もしっかり出演しています。
と、CDや歌番組の歌唱映像では、味わえない当時のF5の魅力が満載ですが、この直後にあきらの声変わりが来て、最大の魅力が欠けてしまうことになるF5。何とか妙子で持ちこたえようとしたのですが、人気もどんどん下降し、ついにはアメリカ修行のために休業してまうのです。
よって、このフィルムにはF5最後の輝きが収められていると言えそう。ビデオソフト化はされていなかったものの、東映チャンネルではオンエアされていましたので、ご覧になった方も多かったのではないでしょうか。
また、世相風俗的に見ても十二分すぎるほどの時代感が漂っていますので、当時を知らない人が初めて見たら、あの頃への幻想が幻滅に変わるかもしれませんが、つかのま紙帽子を被ってたチビッコに戻って、鑑賞することにしましょうか。
ぜひこのシリーズがヒットして、続編や東宝チャンピオンまつりも企画されたらいいなあ。狙うは昭和50年、小学2年に上がる春休みに公開された東宝チャンピオンまつり。アグネス・チャン主演の「アグネスからの贈りもの」のDVD化を願っています。
(2011.6.16)