F5やPLのファンも必聴! 都倉俊一渾身、比の美声姉弟!
覚えていますか? ピンク・レディー全盛の1978年にフィリピンからやって来た仲良し姉弟5人組、ダイアナ、デニス、ノエル、ウォーレン、ジョンジョンのクリッパー。
香港でも台湾でもないフィリピンということや、ディスコなのにみんな判を押したように高いボーイソプラノ(ダイアナはファルセットか?)の声で歌う姿に最初はビックリしましたが、その歌、いやサウンドを聴いて、すっかりファンになってしまったものでした。
なぜかって? それは彼らをプロデュースしたのが、あの都倉俊一先生だったから。そう、ヨーロピアンディスコを基本に、定番のラグタイムやブラスロックなど都倉先生お得意のモチーフがわんさと散りばめられていたからなのです。
しかも、あからさまではないけど「パイプの怪人」「逃げろお嬢さん」「カルメン’77」「百発百中」などなど、よく聴けばわかるのが随所に隠されてたピンク・レディーサウンド。逆に後で「ドラゴン」で使われるフレーズもあったり、PLファンならニヤリとすること請け合いだったのです。
つぶさに検証していけば、同時期の渋谷哲平クンや、秘蔵っ子にしてた頃の百恵ちゃんとかで使ったフレーズも出てきそうです。
クリッパーは、これまた都倉先生が手がけたフィンガー5以来の5人兄弟キッズグループだったこともあってか、スゴイ力の入れようで、レコードはCBS・ソニーで先生のために新設されたTeeレーベルからのリリース。
「ぎんざNOW!」だったか、しっかり者でキュートなお姉さんのダイアナのテレビを通して感じた優しさに惹かれたこともありましたし、当時のワタシは小5で、確か下から二番目の子と同い年。日清焼そばU.F.OのCMに出てたからか、その子が好きな食べ物を気を遣って「焼きそば」と答えたのにもエライなあと思ったことでした。
反対に「TVジョッキー」だったか、集中力を欠いたようにグズっていたこともあって、ダメだなあと思ったこともありましたが、よく考えるとホントに子どもだったんですもんね。いくら姉弟いっしょでも、言葉も文化も違う異国でのお仕事。今ではマジで尊敬しています。
時々思い出したように友人に録ってもらったCDを聴くことがありますが、アクションも頑張って、イイ曲ばっかり出したのに結局売れなかったのは、マリーン以前のフィリピン・シンガーだったことと、美しいけど線の細いボーカルとハーモニーが、歌謡曲もロックもニューミュージックもエキゾチックに濃ゆく重くなってった78年には似合わなかったからではないでしょうか。
さて、何かと思い出の尽きないクリッパーですが、なんとこのたび「BOY / クリッパー・ファースト+2 」がオーダーメイドファクトリーの廃盤再プレス候補に挙がりました!
日本では最初で最後のアルバム「BOY/クリッパー・ファースト」に、ラストシングル「ディスコ・ダック(日本語)/クリスタル・リバー(DISCO FEVER)」をプラスした、全14曲のオールソングスコレクション!
“宇宙へとどけ、天使のハーモニー!”というこのファーストアルバム、アナログ盤のA面は既発売の「あいつのストリート/OH!キョーダイ」「キャットマン・ディスコ/悲しみの翼」「BOY/プリズムの午後」シングル両面で構成。
伊藤アキラさんの詩もコトバ遊びが冴えわたっていますし、クリッパーだからハマるドタバタディスコも魅力的ですが、再評価の対象となっているのは都倉さんのもう1つのお家芸であるバラード「BOY」でしょう。
翌年には都倉さんの覆面バンドというか、実は独りバンドだったというWINDS名義のカバーがリリース(これもクリッパーと同じTeeレーベル)され、盟友・久世光彦さんが演出したジュリー主演のお正月ドラマ「源氏物語」では主題歌として流れるなど、後で名曲の誉れが高まっていったのでした。
2008年にクリッパーのバージョンが都倉先生のBOX「SONGS〜都倉俊一ソングブック」(こちらで紹介)で初CD化された時には、大喜びしたものでした。
一方、B面は、EW&F「宇宙のファンタジー」、アバ「ダンシング・クイーン」をはじめ、アヒルの声で歌うディスコ・ソングとして話題を呼んだリック・ディーズの「ディスコ・ダック」、そしてこの年フィリピンから輸入され、杉田二郎さんやお登紀さんのカバーもヒットしたフレディ・アギラーの「ANAK(息子)」などのカバー集。
フィリピンでは英語が公用語の1つだということも、クリッパーで知ったような気がしますね。
というクリッパー、あまり記憶がないという人でも、PLの楽曲のファンならきっと必聴!以前から強いリクエストを寄せて、待ちに待っていたファンも多いと聞きますが、早く実現しますよう祈ってます。
最近、先発のタイトルも2ndステージが伸び悩んでいるだけに…。
(2011.5.31)