永遠のジェームス・ディーン・ジュニア、青春の形見!
昔好きだった歌手とかって、誕生日はもちろん星座や血液型まで覚えていたものでしたが、そういえば先週1月7日はヒロくんの誕生日でした。
生きていたら確か48才になるはず…などと、センチメンタルな気分でいたところに、ホント感涙もののニュースが飛び込んできたのです。
ヒロくんファンも筒美フリークも、きっとみんな待ち望んでいた「 GOLDEN☆BEST limited 筒美京平を歌う 」。ついにオーダーメイドファクトリー 「スペシャル企画」 商品として候補に挙がったのです。
OMFでは中原理恵(こちらで紹介)に続く筒美作品集ですが、あれがほぼ松本隆詩集という一面を持っていたのに対して、こちらは阿木燿子詩集。
ということでも分かるように、筒美+阿木コンビで粒よりの作品を発表したヒロくんですが、筒美先生が全面的に担当したのはデビュー1年目。
すなわちシングルでいえば、81年3月のデビュー曲「E気持/ジェームス・ディーン・ジュニア」から「半熟期/青春フットワーク」「はみだしチャンピオン/どうにかなっちゃう前奏曲(プレリュード)」 「俺をよろしく/とっちらかって TIME SLIP」までの4枚。
アルバムでは、シングル曲を含めほとんどを書いたファースト「HIRO」とセカンド「ヒロ・イン」。これに、82年のサードアルバム「Rolling 19」に1曲だけ収録されていた「スモーキー・タウン」を加えた全22曲となっています。
筒美先生が手がけたシングル両面は、2枚のベスト(99年の「 GOLDEN J-POP/THE BEST 沖田浩之 」と08年の「 ゴールデン☆ベスト 沖田浩之 」)でCD化されていましたが、アルバム曲はファーストの「汚れた天使」「My name is HIRO」という確か2曲だけでしたんで、今回はなんと「喧嘩ブギー」「ANIKI」「シンガーソングライター」「DIARY」「明日に向って」「プールサイドでタキシード」「 ペーパーバックミステリー」「兄貴のフィアンセ」「Red Shoes Lady」「恋はTAKE ONE OK!!」「誘惑の夏」「スモーキー・タウン」の12曲も初CD化になるんですね。
振り返ると竹の子族のヒーローとして一躍有名になって、80年に芸能界入りしたヒロくん。中島みゆき「世情」のシーンで語り継がれるTBS「3年B組金八先生」第2シリーズで人気が爆発し、キンキラキンの衣装にメイクの軟派な竹の子から、学ランもステキな三原順子の男版的・ツッパリ硬派なイメージへ——その驚くべきメタモルフォーゼはホントにカッコよく、翌81年3月には満を持してレコードデビューを果たしたのです。
折しも時代は新御三家からたのきんへ。80年12月のマッチのレコードデビューによって、70年代前半から続いた鉄壁男性アイドルの世代交代がほぼ終わろうとしていた矢先のデビューになってしまいましたが、いくらマッチが突出したレコードセールスを記録したとはいえ、まだジャニーズ帝国は確立しておらず、ヒロくんがどこまでいけるか、みんな固唾を飲んで見守っていた雰囲気があります。
ただ、残念だったのは、松浦悟という役柄のイメージからか、ツッパリギャル御用達っぽい雰囲気もあったことでしょうか。あくまで身の周りだけのことですけど、日曜日のお出かけにマッチファンの女子がくるくるドライヤーで聖子ちゃんカットをブローしリップクリームを塗っていたのに比べ、ヒロくんのファンはしっかりパーマにダークなルージュ。前者がレースのフリル襟にポシェットをぶら下げていたなら、後者はスカート丈長めにマスクにサンダル、みたいな印象だったんですよね。
しかも、ご担当は酒井政利プロデューサー。そんなファン層の違いを生かすのはお家芸だったと思うんですけど、たのきんに追いつき追い越せけとばかりに取った路線は、まるで先行する淳子に勝負を懸けた百恵ちゃんの少年版といえるような、青い性典路線でした。
ただ、阿木燿子さんに託した詩世界は、意味深というか、お得意の暗喩ではなくそのものズバリのABC、A・B・C・D・E気持ちだったワケで、それに屈託のないアメリカンポップスの王道をゆく筒美サウンドとハツラツとしたヒロくんのボーカル、そして既に大勢いたファンがコーラス、とくれば清廉潔白。とっても軽くって、淫靡さをまったく感じさせない出来になってしまったのです。人気の根幹となったドラマのツッパリイメージは薄れ、テレビではカワイイ振り付け…。
もちろん名曲ですし、個人的には大好きなナンバーでとっても応援していたのですが、この曲ではツリ目と呼ばれたルックスみたくクールで孤独な雰囲気や、実はナイーブな話のわかる兄貴的な持ち味は一切出ておらず、ちょっとガクッという感じがしたのは事実です。
オリコン8位と、鳴り物入りデビューにしては予想を下回るヒットに終わり、なんだかここでヒロくんの勝負はついてしまった感じがします。インパクトを狙わず、ヒロくんの魅力を的確に言い表したB面「ジェームス・ディーン・ジュニア」で勝負してほしかった…なんて、後になって思ったモノです。
しかもレコードデビューからわずか1ヶ月後に出たファーストアルバム「HIRO」は、全曲を阿木さんが作詩、曲も1曲をお弟子さんみたいにしてらした鷺巣詩郎さんに託した以外は筒美先生が手がけた傑作。阿木さんにしか書けないであろう青春のもがきや拗ねた様子が身に迫る詩と、自由自在な筒美メロディーの融合は、ホント得も言われぬ魅力にあふれていたのです。
しかし、当時は超豪華な仕様や特典が話題を呼んだだけという感じだった…。
続く第2弾「半熟期」は、デビュー曲の反動か、チョー過激になりましたね。中学生だったワタシは鶴光のオールナイトニッポンで初めて聴きましたが、もう驚いて眠れなくなりました。既に有名になった曲に元ネタを求めない筒美先生にしては珍しく、日本ではPLがカバー済みだったアイリーン・キャラの「フェーム」にクリソツなメロディーもさることながら、阿木さんの赤裸々な詩…。
今もカラオケで歌っちゃうほど好きな歌ですが、阿木さんの詩としては、後の藤井一子「初恋進化論」と並ぶエロさが全開です。この曲のヒロくんの「アー行くぜ」を聴くと、鶴光に無理矢理言わされた「ええか、ええのんか」が脳内にあざやかに甦ります。
そして「はみだしチャンピオン」にもなると、勝負を懸けた暮れの新人賞レース参加曲であるにもかかわらず、どう進めていくか開き直ったようなイメージが…。もうこの時点でマッチの最優秀は確定していたようなものでしたから、ファンであるこちらもなんとなく引いてしまっていたという印象です。
と筒美先生が手がけた1年目は終焉を迎えてしまうのですが、忘れてはならないのが最後の筒美シングル「俺をよろしく」。林紀恵も出ていたドラマ「ひまわりの歌」でも流れましたが、これこそ最高傑作、個人的にはナンバー1のうたなのです。
青い性典から方向転換したこの4曲目こそ、ヒロくんの真骨頂。ツッパってる男の子特有のシャイでナイーブな素顔。阿木さんの珍しくストレートな詩がホントに胸を打つんです。孤独と向き合う時の、内省的で真摯な態度。そこには、あの時代でも鼻白むほどの生真面目さが見え隠れしていますが、それこそが、ヒロくんのすべてではなかったか…。
前にも書きましたけど、そんなことが思い出されて涙してしまうとともに、その本質を見抜いていたであろう阿木さんに恐れ入る次第であります。
やっぱりヒロくんって、ジェームス・ディーン・ジュニアだったのですね。とやっぱり阿木さんのお話を中心に語り出したら止まらなくなってしまうのですが、筒美先生のヒロくんって、アルバム曲も力を抜いてない名曲ぞろいですし、この時期には珍しく筒美先生自身がアレンジを手がけているナンバーがたくさんあるのも特筆すべきことではないかと思います。同時期のマッチへの作品ではなかったはずですから、いかに筒美先生がヒロくんに惚れ込んでいたかが分かりますよね。
ぜひ商品化が実現しますよう、皆さまご協力のほどよろしくお願いいたします。ちょうど13回忌を迎える3月末までに達成できれば、この上ないご法事になるような気がしてなりません。
(2011.1.12)