あれは昭和四十九年六月の半ば。梅雨の晴れ間の日暮れどきのことです。
夕飯のあと片付けをする母親を急かし、あわてて家を出たのには訳がありました。小学一年生になったばかりのその子は(ぐずぐずしていると日が暮れて、お店が閉まってしまう。)と、いてもたってもいられない気持ちでいたのです。
犬の散歩がてらに行く先は、川向こうの商店街にある中村電気。踏切をわたってすぐ、エスパー人形が目印の小さな電器店です。デパートや駅前の専門店には到底かないませんが、ほんの少し、流行歌のレコードも置いていました。
その子のお目当ては、発売されたばかりのシングル盤。大好きな浅田美代子の新曲「虹の架け橋」でした。
「さわやかな朝を あなたにもあげたい
私の小さな窓から やって来た朝を
ゆうべみた夢を 私にも話して
聞いたら心に 広がる虹の架け橋」
はやる気持ちをおさえられず、うろ覚えの歌詞をでたらめに口ずさみながら、飼い犬と一緒になって堤へと駆け上がります。振り向くとまだ西日はまぶしく、母親の持つ犬の鎖がキラリと光ってとてもきれいでした。
先へ先へと走っては立ち止まり、また振り返っては立ち止まり。そうして橋をわたり、横断歩道を二つばかり越えて、中村電気に着いたのです。
犬を連れている母親を店先に残したまま、その子はおずおずと店へ入っていき、「ごめんくださあい」と声をかけました。
奥から顔見知りの小母さんがいそいそと出てきます。そしてその子に気づくと、にっこり笑って中腰になりました。それからいつものように、新譜コーナーに陳列した何枚かのレコードを指さし、何が欲しいかを問うてきました。
その子もいつものように少しもじもじした後、意を決したように「浅田美代子の新しいのをください」と大きな声で言いました。お使いで覚えた要領で、小さなお財布から一枚きりの五百円札を取り出すことも忘れずに。
小母さんはまた笑ってうなずくと、慣れた手つきでビニールの包みをこしらえました。そして、少し考えるような顔をした後、手提げのついた大きな袋に入れてくれたのでした。
お礼を言って店を出ると、母親はウインドー越しに様子を見ていたのでしょう、小母さんに会釈した顔をその子に向けると、優しく笑いかけました。
そしてまた、横断歩道を二つばかり越え、橋をわたり、夕焼けが照らす堤を歩いて帰るのです。
その子は買ったばかりのレコードの袋を大切に抱えつつ、母親を見上げてはしゃいだり、おしゃべりしたりしながらも、今度はゆっくり歩きます。どこから漂ってくるのか、夕げのカレーの香りに、犬まで甘えたような声で鳴きはじめたりしています。
手をつなぎ歩く母子の影法師はどこまでも長く、堤の先まで伸びていました。
「うれしいことならいつも ふたりで倍になるの
淋しいことならいつか 半分になる
わかりかけた小さな毎日が
やさしいあなたの愛で始まるの」
あれから36年の歳月が流れました。今では、ここに出てきた景色や物はもとより、犬や人でさえ、ほとんどがいなくなってしまいました。
でも、あの日のことはその子の心の中にずっと生きていて、このうたを聴いたりレコードを見たりするたび、いつでもあざやかによみがえってきます。
あなたがもし、ここにあるジャケットを見てみたら、ミヨちゃんのカールした髪とほっぺたの所に大きな茶色のシミがあるのに気づくことでしょう。それはこの翌日、ブリの照り焼きがつけたシミなのですが、それはまた別のお話、ということで。
(2010.6.10)
note:EP「虹の架け橋」1974.6.1発売
あなたと美代子 ふたりでつくる愛のプロローグ——月刊「明星」で公募されたデビュー1周年“美代ちゃんのうたう歌をつくろう”企画の募集歌。「しあわせの一番星」に続くTBSドラマ「寺内貫太郎一家」の劇中歌として、1カ月以上も前から歌われていました。番組ではヒデキとのデュエットのほか、アイドルらしくレインコートを着て歌ったこともありましたし、ことのほか郷愁を誘うカップリングの「きょうは留守番」とともに、大好きなナンバーです。
なお、当時高校2年生だった柳生さんによる原題は「朝のひとりごと」。確か“さわやかでしたか けさのめざめは…”という出だしで、ホントにこれを原案にしているのかよく分からなかったものです。といっても同年の募集歌を見ても「花占い」は「さよならまえのひととき」、「ちっぽけな感傷」は「放課後の恋人たち」という具合でしたから、これが特別というわけではありませんよね。
とはいえ、素晴らしい詩に生まれ変わらせたズズに拍手、ですが前作のB面だった「恋のまえぶれ」に似ていたりして…。
神奈川の三浦海岸でレインボー作戦と銘打った大がかりなキャンペーンを行うも、オリコン最高12位と残念ながらベスト10入りを逃しました。
◎いまCDで聴くなら… GOLDEN☆BEST/浅田美代子