蒐集家も好事家も必携!初CD化多数の迷ディスコ集!
古くは小堺一機&関根勤両氏の“コサキンソング”から、伊集院光さんの“おバ歌謡”、最近はDJフクタケさんの“ヤバ歌謡”まで、昔の迷曲や珍曲を発掘しては楽しむ趣味をお持ちの方は多いようで、そういうナンバーやコミックソングを集めたコンピ盤は以前から多数存在しますし、テクノ歌謡やラップ歌謡などれっきとした1つのジャンルを構築しシリーズ展開したものもあります。
中でも70年代後半の歌謡曲に大きく影響したディスコサウンドは、後にディスコ歌謡として珍重され、好事家のみならず世代を超えて厚い支持を受けております。
99年にはP-VINEレーベルがメーカー別のディスコ歌謡コレクションを展開したり、近年もHotwax・夜の番外地シリーズが続々と発売になったり、テクノ歌謡と並び、何度も再評価されているのはご存じのことでしょう。
ディスコ歌謡の第一人者といえば筒美京平先生で、アンソロジーが編まれた際にソウル&ディスコに特化した作品集も出たほどですが、先生の場合はクオリティが高く、イロモノ感はゼロ。
時代の変遷にも色あせないためリアルタイムを知らない世代にも人気ですが、今回コンパイルされた「 変DISCO 」は、タイトル通り変なディスコ歌謡やディスコチューンが満載という1枚。
洋モノのように見えても国内制作の和モノ17曲が、めちゃくちゃマニアックに厳選されている模様です。
日本のディスコブームは、75年のソウルミュージックに始まり、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」が公開された78年がピークだったように思いますが、このCDでは、当時は王道路線でヒットしたものの、時代とともに風化し笑いものになったナンバーや、ブーム終焉のもの悲しさを感じさせる曲があったり、いろんな楽しみ方ができそう。
最も成功したのは、マイナー・チューニング・バンドが歌謡ヒット・イン・ディスコ'76として大ヒットさせ、ついにはオリコン2位をマークしたメドレーシングル「ソウルこれっきりですか」(歌はテレビではアパッチ)ではないかと思いますが、今回はA面ではなく、B面で筒美先生の変名であるJ・ダイヤモンド作品「ピーナッツ」( 演奏はマリリン・モンロー・ハズバンド)、そして次作シングルとなった日本民謡のディスコ・メドレー「ソウルそれからどうした!―日本列島春一番―」とそのB面「SOMEDAY SOMEWHERE」を収録。
ちなみにマイナー・チューニング・バンドは、CBS・ソニーで太田裕美を担当していた白川隆三さんプロデュースです。
和モノディスコ歌謡は、いずれも本場のディスコヒットの影響を受けて制作されたものでしょうけど、前述の筒美作品をはじめ実際のディスコでかかって流行った曲も多かったようで、その代表と言えるのがアーリーバード・シンジケート「ソウル怪人二十面相」。
「ソウル・ドラキュラ」の影響を受けたフランケンシュタインやらのモンスターものの一環という感じですが、ココではフロアで踊れるインストではなく、明智小五郎や小林少年との寸劇コントが面白い“セリフ・ヴァージョン”が聴けます。
一方、古い歌謡曲や民謡をモチーフにするというのも和モノディスコの常套手段でしたが、そのきっかけになったのが春日八郎のナンバーを元にしたエボニー・ウェッブ「ディスコお富さん」ではなかったでしょうか。
ほかにも、北島三郎「与作」を英語でディスコにしたバラクーダ「ヘイ!ミスター・ヨサク」、キャプテン・モジョ グループ「酋長の娘 Chieftain's Daughter '79(ディスコ・ヴァージョン) 」が後に続きましたし、本物の民謡歌手・三橋美智也がナウなミッチーとしてディスコに挑戦した「花笠音頭」は、ディスコ歌謡ならぬディスコ民謡という感じですね。
また、ディスコブームがスゴかったのは、子どもからお年寄りまで、あらゆる世代を巻き込んだ感があったこと。
幼児にまでディスコサウンドを体感させたのはピンク・レディーであり、その産みの親・都倉俊一先生でしたけど、都倉先生も筒美先生のようにサム・クラートという変名を使い、サム・クラートオーケストラとして活動されていました。
いずれもコミカルで、ここには邦楽の国内制作「ソウル・チャップ・スイ(ソウル野菜炒め)」ではなく、洋楽の国内制作による算数学習ディスコ「サンスー・ダンシング」がチョイスされています。
実際の子ども番組でもリズミカルでダンサブルなディスコものは重宝されたようで、ココでは日本テレビ系「なんじゃ・もんじゃ・ドン!」よりミッチー長岡(コレってまさかSHOGUNの長岡さん?)の「こんや10じのディンドン・ドンディン」というナンバーがそれに当たります。
モチーフになりやすいスポーツ界のヒーローものも多く、ジェシーこと高見山大五郎&S.P.S.シンガーズによる「ジェシー・ザ・スーパーマン」をはじめ、ドクター南雲とシルバーヘッドホーン「ソウル若三杉」、10カウント・バンド「具志堅のテーマ」と相撲&ボクシングのディスコもまた楽し、というところ。
一大ブームとして盛り上がった分だけ80年代に下がると、めっきり少なくなったように思いますが、80年代もちゃんと入っています。それが、ものまね系メドレーものを連発したライジング チャート バンドで、化粧品CMソングのものまねメドレー「化粧なおしでメイク・ダウン?」と、大滝詠一関連のものまねメドレー「ナイアガラ・CM BOX」です。
あのミシェル・ルグランが手がけた手塚治虫原作の同名映画主題曲「火の鳥」のディスコバージョンもいいですけど(最高なのはハイ・ファイ・セットのバージョン)、今回、個人的に最大の目玉だと思っているのが、原田潤「ぼくはハト」の初CD化。
平尾昌晃歌謡教室出身、小学生ディスコキングだった潤くんといえば、ドラマ「熱中時代」の主題歌となったデビュー曲「ぼくの先生はフィーバー」が有名ですが、あの曲は「世界一受けたい授業」のテーマソングとして話題に上り、2005年にはリメイクCD(こちらで紹介)が単独で出たほど。
第2弾シングルにして究極の小学生ラブソング「ヒロミ」はNHKみんなのうた関連で何度かコンピ盤(こちらで紹介)に収録されていましたけど、この第3弾「ぼくはハト」は依然として未CD化だったのですね。
この曲、長髪の潤くんが丸刈りにまでなって主演した映画「はだしのゲン PART3 ヒロシマのたたかい」の主題歌。デビュー曲の流れをくむ平尾先生渾身の名ディスコチューンなのですが、監督が作詞していて、歌詞がなんとも監督の思いというか、思想みたいなものも映していて、ちょっと…という問題作なのです。
また、映画のオープニングでは本編と関係なく現代のスタジオでバックダンサー(平尾昌晃歌謡教室の生徒であり、後におニャン子クラブのフロントメンバーになる内海和子も含まれてます!)を従えて歌われるのですが、そのキッチュさも相まって、何だかトンデモ歌謡の烙印が押されたような感があったのですね。
むろん今回はそういうコトになっていたおかげで初CD化されたワケですし、悲願達成を素直に喜びたいと思いますが、これでなんとか潤くんの再評価の機運が高まって、エラそうな歌唱がクセになる「ディア・ティーチャー」、おませな「あなたは年上」、涙の絶唱「星になった」という未CD化のB面曲にも関心が集まることを祈ってます。
(2016.1.27)