ついにG☆Bに登場! 哲平クン初のCDベスト!
1977年。「スター誕生!」でグランドチャンピオンになった渋谷恵紀クンのことは今もしっかりと覚えておりマス。
それは、なんで今ごろ加山雄三なんか歌ってるの?とか、ちと古くさくいけど、青春のシンボル・ニキビもある爽やかな好青年だなとか、そんなことではなく、本名の漢字のこと。
小3のワタシにとっては、彼の歌よりも「恵紀」と書いて「しげのり」と読む名前の方がとても印象的だったのデス。もちろん、一緒の決戦大会でスカウトの札が上がった石野真子ちゃんに心を奪われていたことも大きかったでしょうけど。
そしてサンミュージックへの所属が決まり、芸名は渋谷哲平に決定。78年お正月明けのスタ誕デビューコーナーではやはりムクんだ感がありましたけど、とても颯爽としてカッコよくなっていましたっけ。そして2月にはコロムビアから「朝日に向かって」でデビューを飾ったのでした。
デビュー曲のプッシュはスゴかったし、新御三家の壁に挑戦できる男性ニューアイドルとして、未来を嘱望されてた感じでしたよね。
スタ誕でも同期だったMAKOちゃんととても仲が良かったし、渡辺真知子を「お母さん」なんて呼んでいるというエピソードも思い出されます。まっちゃんファンであったワタシはかなりイカっていたものですが…。
そんな恵紀クン、もとい哲平クン初のCDベスト「 渋谷哲平 ゴールデン☆ベスト 」のリリースがようやく決まったようであります。
男性アイドルはセールス的にどうしても復刻されにくいようですが、事務所の先輩である陽介クンの「 GOLDEN☆BEST 」も出たことだし、ずっと心待ちにしていた人は多いことでしょう。かくいうワタシもそんな1人。最近もコロムビアのオンデマンドCDでもいいから、なんてリクエストしたこともあったりして。
さて、レッツヤンのサンデーズのメンバーでも知られた哲平クン。最初の2年ほどはスタ誕でもレッツヤンでも恩師だった都倉先生が手がけた曲がずらり。
皆さんの記憶にあるのは、第3弾にして大幅にイメチェンし、世良公則&ツイストの辞退を受けて滑り込んだレコード大賞新人賞受賞曲「Deep」でしょうけど、焼き直しの多い先生ならでは、中には百恵ちゃんのナンバーを彷彿とさせるものがあったり、B面を含め最初の青春歌謡にもいい曲があります。
個人的にはと等身大の疾走感にキュンとなる第4弾「スタント・マン」、スタンドマイクで大人しい世良さんみたいだった5枚目「標的」(なんだか「銃爪」の二番煎じっぽい?)あたりの流れが好きなのですが、今回、こういう曲を通して聴けると思うとうれしくてたまりません。
それとやっぱり、ヴィレッジ・ピープルをカバーし、西城秀樹「ヤング マン」の大ヒットにあやかって間にセーラーを入れたタイトルがなんとも言えない「ヤング・セーラーマン」。
イン・ザ・ネイビーを気取った水平さんルックの哲平くんが、バックダンサーを従えて、足並みそろえて大行進!というシーンはある意味衝撃的でしたね。
起死回生を狙いスマッシュヒットしたものの、同じく臨発盤だったピンク・レディーの「ピンク・タイフーン」に完敗してしまったのが残念です。この時に出たディスコカバーのアルバムもCDで聴いてみたいなあ。
70年代半ばから後半の男性アイドルって、新御三家とたのきんの間に挟まれてしまって、ことごとくワリをくっちゃっいましたけど、哲平クンの場合も同じ。
ロック御三家とかニューミュージックのアイドル化のあおりも受けて、人気はあるのにレコードが売れなかったり、ジャンプスーツを着て踊ってもなんとなく違和感があったり、なんだか思い返すにつけ残念でなりません。
デビューから洗練されていくどころかどんどんムクんでいってしまって、いつの間にかタレントというか俳優さんになってたという印象があるんですが、確かシングルは20枚近く、アルバムは10枚ほども出ているんですよね。
後期の曲は松本零士のアニメのヤツを含め、あまり印象がないのですが、なぜか「想い出して下さい」って歌が唯一口ずさめたりして。あれって中村雅俊主演のドラマ「われら動物家族」で流れてたんでしたっけ。
いずれにしてもここまで枚数が出せたのは、サンミュージックとコロムビアに所属していたおかげではないかと思っております。
今回、おそらくめいっぱい収録されることでしょうから、早めに予約してリリースを待ちたいものですね。
なお、G☆Bは後発だったコロムビア、しんぐるこれくしょんが出ていたためか、今回「 榊原郁恵 ゴールデン☆ベスト 」「 河合奈保子 ゴールデン☆ベスト 」「 富田靖子 ゴールデン☆ベスト 」も同時発売されるとのことです。
(2009.12.18)