今となっては、好事家でなくともヒットしなかったうたに価値を認め、昔は鼻に引っかけもしなかったことを忘れて有り難がったり、語る人もなく何十年も封印されていたうたがひょんなことから隠れた名曲として脚光を浴びたりすることも少なくはなく、当時からそのうたの価値を認めていた者などは積年の思いを昇華させ、大いに溜飲を下げているということである。
しかしそれらはほんの一握りであり、多くの輩は好きな歌手の会心作が売れなかったという思い出などを、無念なまま胸にしまい込んでいるものである。
あのうたはどうして売れなかったのだろう。あの時、あの曲をシングルとして出していれば…などという悔恨は、誰もが一つや二つ持っているに違いない。
私にとってのそんな1曲が、昭和57年4月に発表された中原理恵の「TONIGHT」である。
その4年前に「東京ららばい」で鮮烈なデビューを飾り、日本レコード大賞新人賞、NHK紅白歌合戦に初出場。華々しいスタートを切るも、その後は歌手としては低迷した彼女。56年の「欽ドン! 良い子悪い子普通の子」をきっかけにバラエティーアイドルへと変貌を遂げ、当時はバラエティーやCM、ドラマ、映画など、各方面から引っ張りだこの人気があった。
歌手にこだわっていた彼女としては、この人気を何とか歌のヒットに結びつけたいと考えていたようである。奇しくも欽ドンからは「ハイスクール ララバイ」というNo.1ヒットが生まれ、彼女も「死ぬほど逢いたい」というシングルを発表。コメディエンヌとシンガーのギャップを狙った勝負曲だったが、話題には上ったものの思うようなヒットにはつながらなかった。
結局は欽ドンのレギュラーを卒業、歌手活動に再び重きを置くことになるのだが、それががまさにこの時期だったのである。
「TONIGHT」が収録された「インスピレーション」というLPは、歌手としての再浮上を狙うシングル候補を寄せ集めたようなアルバムで、デビュー以来手がけてきた松本隆+筒美京平コンビの「想い出ランデブー」や、YMOの高橋幸宏が提供しサウンドプロデュースも手がけた「プリティー・ボーイ……大・丈・夫」なども含む。
結局、先行リカットしたのは「愛してクレイジー」。前曲の教訓を生かし“欽ドンの理恵ちゃん”のコミカルなイメージを打ち出すとともに、流行の先端にあったニューウェイブも意識した作品だった。しかし、この時もしも「TONIGHT」を切っていれば、結果は大きく違ったと思うのである。
一言で言えば、大衆的なカッコよさを持つロック歌謡で、メロディーラインが彼女の声の魅力と上手い部分を引き立てている。そして何より、欽ドンで見せた天才的なアドリブ、頭の回転のよさを思わせるスピード感がある。だから“欽ドンの理恵ちゃん”を好きになった人には、ドンピシャな曲として絶対受け入れられる。当時、レンタルレコードで借りてダビングしたテープを聴くたびそう思った。そしてこの曲ばかり何度も聴いて、何度もそう思った。
そして今、久々にこのアルバムを聴いて、またそう思っている。あの時、この曲をシングルとして出していれば…と。
(2013.6.27)
note:LP「インスピレーション」1982.4.1発売
81年1月まで年に2枚のオリジナルアルバムをリリースしてきた理恵ちゃんにとって、1年以上ブランクが空いたアルバム。欽ドンでも歌った「横浜ブギウギ娘」「死ぬほど逢いたい」「愛してクレイジー」というシングル曲が中心で、多面体の理恵ちゃん自身を映したようにバラエティーに富んだ仕上がりとなっています。
「TONIGHT」を手がけたTEmPAは、70年代前半に活動したフォークロックデュオ・丘蒸汽の天波博文さん。ちなみに丘蒸気のもう1人のメンバーは西脇睦宏さんで、81年に夫婦デュオ・パナシストとしてEPIC・ソニーから再デビューしています。パナシストは自宅でレコーディングした覆面アーティスト的な存在で、デビュー曲「星空のパナシスト」が話題を呼びましたが、そのパートナーが西脇葉子さんでした。
なお、このアルバムはソニーミュージックのオーダーメイドファクトリーで「中原理恵 Premium BOX」の1枚としてCD化される可能性があります。
◎いまCDで聴くなら… 中原理恵 PREMIUM BOX