細野さんが愛した越美晴、テクノ期突入の2作!
コシミハル。皆さんには、78年10月に「ラブ・ステップ」でデビューした越美晴といった方がなじみ深いでしょうか。
音楽一家で育った自作自演のシンガー・ソングライターでありながら、NHKレッツゴーヤングでサンデーズのメンバーとしてアイドル的活動を繰り広げたことは、今さら言うまでもないでしょう。むろんそれは時代のせいであって、同期の竹内まりやなどと同様、本人はその立ち位置に大きな違和感を抱いていたといいます。
その時のサンデーズのメンバーとは比べるまでもない彼女の才能を絶賛し、何かと目をかけていたのは都倉俊一さんでしたが、彼女が狂気を孕んだ天才肌であったことは、素人目にもはっきりと分かるものでした。
アルバムには同じRCAの山下達郎や吉田美奈子に加え、坂本龍一らも参加していましたし、シングル「マイ・ブルーサマー」や「立入禁止」あたりは露出も多くスマッシュヒット感がありました。
熱心なファンは多く、81年までに3枚のアルバムをリリースしたものの、その音楽性はどんどんマニアックな方へと向かいます。世はテクノ全盛期、それに目を留めたのが細野晴臣御大でした。
そして83年、天賦の才能と後ろ盾を武器に復活を果たした彼女は、驚くべき変身を遂げたのです。それがアルファの村井邦彦さんがホソノさんのために作った世紀の名レーベル・¥ENから発表された「チュチュ」。YMOファンにもおなじみのデビッド・パーマーやかの大村憲司さん、それにこの時期の太田裕美ファンにもおなじみの川島バナナ、岡野ハジメらが参加。
古典音楽をルーツに育まれた比類なき音楽性。それに裏打ちされた、高度でキッチュ、クラシカルモダンなテクノポップとでも申しましょうか、歌唱法もルックスもガラリと変え、時代の最先端へと進み始めたのです。ホソノさんの肝いりとは言え、ヨーロッパでも発売され各国でライブも行ったといいますから、さすがです。
翌84年にはさらに耽美性を追求した「パラレリズム」をリリース。それはジャケットそのまんまに、あの金子國義の世界!美しき醜悪と清純な淫靡からもたらされる快楽と恐怖。尊き正気と狂気。そんな危ういバランス紙一重の世界が、いとも簡単に展開されているのです。
トノバンのジャケット(「あの頃、マリー・ローランサン」など)や、当時愛読していたX-MENをきっかけに金子さんの芸術に魅了されてしまったワタシですが、あの独特の世界を音楽で表現したらこうなるんだとひとりごちたものでした。
と前置きが長くなりましたが、このたびこのアルファ音源のアルバム2枚がセットで再発。「 “エポック・ド・テクノ”「テクノ時代」1983-1984 アルファ盤から(仮) 」として新しいアートワークが施され、再新リマスタリング2枚組での復刻となります。
92年と94年の2度にわたってCD化済みですが、アルファ盤はとっくになくなり入手困難の状態が続いていましたので、待望の復刻と言えるでしょう。
ところで気になる名前の表記ですが、記憶では“コシミハル”としたのは90年前後で、このオリジナル発売時はまだ“越美晴”だったはずですが、今見るとコシミハルとなっていますから、CD再発の時に変えたんですかね?
なお、個人的には、このご寵愛の延長線上、すなわちホソノさんが、テイチクと提携した新レーベル・ノンスタンダードから出た“天使ののど自慢”「ボーイ・ソプラノ」と、その次の「echo de MIHARU」が最高です。
ロマンティックなテクノ貴族のクラシカル趣味という感じの流れですが、前者はテクノとクラシックの融合をテーマにしたアルバムで、アイドルファンには金井夕子の「ハートブレーカーのために」を原曲にした「走れウサギ」の収録作としても有名でしょう。後者は「汚れなき悪戯」とか名画のテーマなどをモチーフにした傑作(コレがイチバン好きです)で、ヨージヤマモトだったかコムデギャルソンだったか忘れてしまいましたが、パリコレのBGMとしても使用されていたように思います。
このへんのアルバムって“フランスの修道院で清貧な生活を送る孤児の少年に、クードゥーピエの服を取っ替え引っ替え着せて愛でる神父様”みたいなイメージで聴いてましたっけ。その後、原田知世ちゃんのCMで話題を呼んだマドンナワインの歌などで、彼女の音楽はお茶の間にまで知られるようになっていきましたね。
一部では神格化されている感もある「美晴ちゃん」(ホソノさんの声を想像して読んでください)ですが、まずはこの2枚のアルバムをきっかけに「コシミハル」の音楽に触れる人が増えればいいなあ。そしてソニー〜BMGということで、続く「パスピエ」「父とピストル」「希望の泉」といったファンハウス時代のアルバムも再発されるといいなあ。
個人的には、買い逃がしてしまったCDブック「心臓の上」が復刻されることを願っております。
(2009.9.3)